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01.31
Wed
70bb6242.gif捨駒がカギ。二分で二級です。(独自の指標)
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01.30
Tue
d3d18dac.gif一分で三級だなこりゃ。
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01.29
Mon
36c467e9.gif一分で二級です。(迂回あり)
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01.28
Sun
47502e95.gif一分で二級です。
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01.27
Sat
9885f702.gif一分で一級です。
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01.26
Fri
ed25ff00.gif2つの作意を答えてください。



二分で一級です。
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01.19
Fri
「私たちがよく使う『平和』という言葉の中の『平(たいら)』は

力を持つ者が全ての者の個性を認めず、平らかにならしてしまうという意味が込められている。だから、その時点ですでに武力制圧を認めてしまっていることになる。言霊のエネルギーの強さに気付いている人はなおさら、気を遣わなければいけない。『調和』と言い換えて使えば、全ての個性を認め合いバランスをとることが出来る。」



そう言われてみれば「平定」という言葉にも「武力により、まつろわぬ者を平定」という語感はつきまとう。



なお、「PEACE」の語源はラテン語「PAX(平和、講和)」であるが、このPAXは「借金を返済して債権者をなだめる」を意味するPACAREの派生語とのこと。つまりPEACEとは本来「金品のやりとりによって紛争を調停する」ことにほかならなかった、ということになる。なおPAY(支払う)もPACAREから生まれた言葉とのこと。



「平和」という言葉を分析。「和」であることが「平」なのではなく、「平」であることが「和」なのかもしれない。「平」は「落ち着いていること」「高低や凹凸のないこと」、「和」は「うまく調和のとれていること」「対立や疎外がなく、集団がまとまっている状態」。この二つの言葉に互換性はあるのだろうか。僕が思う「平」とは「ある概念に基づいた直線」なのだ。その概念とは、「相対的人口」である。日本は少子化とか言っているが世界的に捉えれば逆に多いくらいに思える。微妙なバランスなのかもしれない。今ある日本の悲惨な状態が「平」なのであり、「和」に近づくことが「人間の営み」なのかもしれない。日本人は今まで「和の心」を大切にしてきました。「和を保つことが、善し」という考えがあったのです。でも現代ではその考えは揺らぎ始めています。「和」は主語ではなく、あくまで形容詞的な存在で、影で「平」を支える「縁の下の力持ち」でなければならないと思います。「和」は「対立や疎外がない」状態ですが、それは成立するのだろうか。それは不可能に近いだろう。なぜなら、そこには「愛」があるから。「愛」という言葉の裏には「憎」という二面性が潜んでいる。「平」と「和」という二つの矛盾した言葉を組み合わせたところで誤った考えが生まれるだけである。災害も秩序を喪失させる・・・自然にまで喧嘩売るのかよ。てめえに個性なんざ高価すぎるわ。自然の前に人間は無力であるから。愛は人間だけの概念。自然は人間を愛しているのではなく、常に何かを警告しているのだと思う。それが恩恵だろうと災害だろうと。台風は大量の水を齎します。辻風は植物の種子を遥か遠くに運びます。

(ここは間違ったことも書いてある可能性もあるので適当に流してください)





複雑化してきたね、まとめようか。良く考えてみると、上に立つ者は全体を把握しなきゃいけない。そこに暢気な顔をした個性を手に余るほど抱えた連中が部下になる。個性を認めてくれる上司にしか付いて行きたくないとか。職に就けない身なので生意気なことは言えないが。そんな完璧な上司なんて果たしているだろうか。個性を認めないことが果たして武力制圧を認めることになるのだろうか。ある程度は必要である。でも人間は欲張りだ、更に個性を追求する癖がある。それはこの時代、最も荒々しくそして野蛮な、食い止めなければならない真実である。僕は個性が人間が成長してゆくのに欠かすことの出来ないものだと思うし、他人の個性を否定する気もありません。でも、行き過ぎては駄目です。そこはあくまで冷静に一考してください。



最後は心で決めなさい--------------------by M



「平」という言葉の存在と意味を否定することはできませんが、人間は一考して疑問を持つことができます。そう、上の僕の意見のように。それにより「平」という言葉の本質を少しばかり変化させることができました。「武力」は確かに悲惨で無常なものです。私自身、「アメリカが銃社会でなければどんなに良いだろうか」などと夢をみるときがありました。「個性を認める」というのは普通に考えれば良いことです。最低限の個性はなければならない人間の権利です。ですがそれが行き過ぎると「ゆとり教育」なんたるものが産まれます。これは大人達の完全な「育児放棄」に他ならない気がします。個性を認める振りをしてそれを思いっきりぶっ壊しているような感じです。危ない宗教と同じです。個性って求めれば求めるほど遠ざかってゆくものではないでしょうか。無理矢理掴んだ個性には虚偽が感じられます。個性という言葉の概念そのものがおかしい気がするのは私だけだろうか。



「力を持つ者が全ての者の個性を認めず、平らかにならしてしまう」=「武力制圧」=「相対的人口に基づいた直線」=「平」



過剰な愛は反逆しか産みません。この現代に限ってですが。こうしてメディアにこの文書を記録できること自体、歴史を変えてしまう一因になるのではないかと不安です。(じゃあ書くな)「平」は常に発動していて、何かを警戒しています。それが顕著になってくると、能力を最大限に活かすための準備段階に入ります。現代ではすでに「平」が超臨界状態に達して、暴走は止まる気配がありません。「平」は良い意味の言葉ではありません。しかし人類が、いや、この地球が生存を継続するために必要なシステムである。「和」はただ単に「対立や疎外がなく、集団がまとまっている状態」の意味ではない気がします。と言うのは、ありえないんです。前記の意味は矛盾しているんです。「和」の本質を摩り替えてしまい、本当の意味を忘れてしまったのです。



「和」の本質とはなんだろうか。「平」の本質と対を成すものであることは確かです。「和」は素晴らしき日本人の粋からやがて過剰な愛へと進化を遂げました。「和」の本質の変化具合を監視するシステムが「平」なのです。そう、「子」を育て成長を見守る「親」のように。本来はこうでなければなりません。しかし現代では逆です。「平」は子の反逆、「和」は過剰な愛に進化を遂げ、戦争へと至ってしまいました。もう罰を受け、罪を償ったはずです。日本人が昔描いた心意気を、今取り戻すべきであります。「和」の本質は「平」である子供達が学ばなければならない全てです。「平和」とは、人間だけのものでしょうか---------------
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01.12
Fri
ac218615.bmpYeah, I saw on Jake's Offspring pages a tracklist of new album. There it is:

01 - Enter

02 - All the Time

03 - Flying In My Mind

04 - Vociferous Shadows

05 - We Don't Have Sex Anymore

06 - Free Runaway

07 - Getting My New Life

08 - The World Hide

09 - If I Lie

10 - Pass Me By

11 - Broken Things

12 - Light Them Up

13 - Long Distance To Ride

Everybody: Do you think, it's The Offspring track name style or it's fake. 01 - Enter sounds possibly because of Diclaimer from Ixnay, Welcome from Americana and Intro from CO1. What do you think?



オフスプリングのニューアルバムトラックリストだと。偽物の可能性もあるそうな。01はインストかね?
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01.11
Thu
1c704f49.jpgオーガスタ・ナショナルGC コース名称解説



01 Tea Olive

ギンモクセイ(銀木犀)

中国が原産です。高さは3~6mになり、樹皮は淡い灰褐色です。葉は楕円形の革質で対生します。縁には細鋸歯があるか全縁です。雌雄異株で、9月から10月ごろ、枝先の葉腋に芳香のある小さな白色の花を束生して咲かせます。写真は、四季咲き性のある矮性の園芸品種で、「シキザキモクセイ(四季咲き木犀)」と呼ばれます。



モクセイ科モクセイ属の常緑小高木で、学名は Osmanthus fragrans/英名は Fragrant tea olive/花言葉は「気を引く」





02 Dogwood

ハナミズキ(花水木)

ミズキの仲間で花が目立つことに由来する。和名アメリカヤマボウシ。アメリカから渡来したときに、日本のヤマボウシに似ているのでとりあえずこの名前がつけられた。花期は4月下旬から5月上旬で白や薄ピンクの花をつけるものがある。秋につける実は複合果で赤い。庭木のほか街路樹として利用される。

1912年に東京市がアメリカへ桜(ソメイヨシノ)を贈った際、その返礼として1915年へ渡ってきたという話は有名だが、日本へ最初に入ってきたのは明治中期らしい。

英名はDogwoodだが、これはハナミズキの皮の煮汁で犬のノミ退治を行ったことによる。樹皮や根皮を用い、整腸や強壮に効果がある。バージニア州の州花でもある。



北アメリカ原産のミズキ科ヤマボウシ属の落葉高木で、学名は Benthamidia florida/英名は Flowering Dogwood/花言葉は「私の想いを受けてください、返礼」





03 Flowering Peach

モモ(桃)

花は4月上旬頃に咲き、「桃の花」は春の季語。桃が咲き始める時期は七十二候において、中国では桃始華、日本は桃始笑と呼ばれ、それぞれ啓蟄(驚蟄)の初候、次候にあたる。

淡い紅色であるものが多いが、白色から濃紅色まで様々な色のものがある。五弁または多重弁で、多くの雄しべを持つ。花柄は非常に短く、枝に直接着生しているように見える。観賞用の品種(花桃)は源平桃(げんぺいもも)・枝垂れ桃(しだれもも)など。庭木として、あるいは華道で切り花として用いられる。



葉は花よりやや遅れて茂る。ハート型で互生し、縁は粗い鋸歯状。湯に入れた桃葉湯は、汗疹など皮膚の炎症に効くとされる。ただし、乾燥していない葉は青酸化合物を含むので換気に十分注意しなければならない。



7月~8月に実り、「桃の実」は秋の季語。球形の果実は赤みがかった白色の薄い皮に包まれ、果肉は水分を多く含んで柔らかい。栽培中、病害虫に侵されやすい果物であるため、袋をかけて保護しなければならない手間の掛かる作物である。また、収穫後すぐに軟らかくなるため、賞味期間も短い。生食する他、ジュース(ネクター)や、シロップ漬けにした缶詰も良く見られる。



漢方において、種子の内核は桃核(とうかく)あるいは桃仁(とうにん)と呼ばれ、血行を改善する薬として婦人病などに用いられる。また、つぼみは白桃花(はくとうか)と呼ばれ、利尿薬、便秘薬に使われる。



バラ科・サクラ属の落葉中木で、学名は Prunus persica/英名は Peach/花言葉は「辛抱、忍耐、愛、懐かしい日、あなたに心を奪われた、気立てのよさ、恋の奴隷」





04 Flowering Crabapple

ハナカイドウ(花海棠)

4月に開花し濃ピンクの集団花で桜以上に華やかだ。植替えは秋から春にする。実はほとんどならない。枝にはトゲがあり、粗いので樹形に注意して栽培する必要がある。中国では、開花前の蕾が垂れ下がる姿がうつむいた女性に見えることから、美人に例えられる。中国の西部が原産です。高さは5~8mになり、樹皮は灰色で平滑です。葉は楕円形で対生し葉柄があります。4月から5月ごろ淡い紅色の花を咲かせます。果実は梨状果で、秋に黄色く熟します。中国では楊貴妃が酒に酔って微睡んでいる姿に喩えられるそうです。



バラ科リンゴ属の落葉中木で、学名は Malus halliana/英名は Hall's crabapple/花言葉は「友情・温和・美人の眠り・艶麗」





05 Magnolia

モクレン(木蓮)

他のモクレン類に比べ4m程度と樹高が低い。春、葉に先立って大形で暗紅紫色の花が開く。花弁は6枚、がくは3枚、雄蘂と雌蘂は多数が螺旋状につく。上品な強い芳香を放つ。ハクモクレンとは異なり、花びらは舌状で長く、実は赤い。葉は広卵型である。庭木、公園樹として中国や日本だけでなく、北米やヨーロッパ諸国で広く栽培されている。移植は困難であり、株分けによって殖やす。花のない時期にはハクモクレンと区別しにくいが、ハクモクレンが幹が良く分化して高木性であるのに対し、地際から多数の幹が出て灌木状の樹形になりやすい点で区別できる。和名は漢名の木蓮であるが、紫木蓮(しもくれん)とも呼ばれる。3月の終わり頃から4月の終わり頃に咲く。いくつかの変種があり、またハクモクレンとの交配種などが作出されている。



モクレン目モクレン科モクレン属の落葉低木で、学名は Magnolia quinquepeta, Magnolia liliiflora/英名は Lily magnolia, Mulan magnolia, Tulip magnolia/花言葉は「恩恵・自然愛」





06 Juniper

イブキあるいはビャクシン(伊吹/柏槇)

海岸の崖や時として内陸の崖地などに生育する常緑の針葉樹。雌雄異株で、本州・四国・九州、朝鮮・中国に分布する。大きなものは樹高25m、直径70cmになるという。ネットで調べてみると目通り6mを越えるものもあるそうで、直径2mほどのものもあることになる。大きくなったものは彫刻材や器具材として重用され、床柱としては貴重であるという。小さなものは盆栽などに採取されて少なくなり、よほどの危険急傾斜地でしか自生をみることができなくなった。

葉は短く茎に密着し、互いによりあって葉の付いた枝は棒状の外見を持つ。時に針状の葉を持つ枝が見られる。葉の付いた枝はすべて上に向かって伸び、全体としては炎のような枝振りになる。太くなった幹の樹皮は赤褐色で、縦方向に薄く長く剥がれる。



ヒノキ科ビャクシン属の常緑針葉高木で、学名は Juniperus chinensis/英名は Chinese Juniper/花言葉は「あなたを守ります」





07 Pampas

シロガネヨシ(白銀葭)

原産地はブラジル、アルゼンチン、チリなどの南米大陸の草原。高さ2~3m程度と大きく成長し、細長い葉が根元から密生して伸びる。8月から10月にかけて、垂直に立ち上がった茎に長さ50~70cmの羽毛のような花穂をつける。色はややピンクがかった白銀色である。暖地の沿岸域によく植栽されており、よく乾燥に耐えて大きく成長する。瀬戸内海の海岸地方や島嶼部では柑橘類や畑の防風のために生け垣として植栽されるほか、花材として栽培されたり、庭園に植栽されている。侘び寂びの象徴でもある日本のススキとは対照的に豪華絢爛なイメージさえあります。



イネ科コルタデリア属の多年草で、学名は Cortaderia selloana/英名は Pampas Grass/花言葉は「深い愛情」





08 Yellow Jasmine

カロライナジャスミン

アメリカの南東部カロライナ付近から中米グアテマラにかけての原産で、ラッパ形の黄色い花を多数つけ美しい(わずかに香りもある)ので、よく栽培される。ワイヤーのような茎を絡みつかせて伸び、長さは3~6メートルになります。葉は常緑で、冬になると赤茶色に変わります。春に芳香のある黄色い花を咲かせます。全体にアルカロイドが含まれるため、有毒です。また人によっては皮膚アレルギーの原因となることがあります。



マチン科ゲルセミウム属の常緑蔓性低木で、学名は Gelsemium sempervirens/別名は Yellow Jasmine, Evening Trumpet/花言葉は「長寿」





09 Carolina Cherry

カロライナローレルチェリー

アメリカの南東部、ノースカロライナ州からフロリダ州、テキサス州にかけて分布しています。渓谷や低地の林内や林縁に生え、高さは12メートルほどになります。樹皮は灰色で薄く、裂け目が入ります。葉は楕円形から狭楕円形で、光沢のある濃緑色です。ほとんど全縁ですが、ときにわずかに鋸歯が入ります。葉をつぶすと芳香があります。早春に葉腋から花序をだし、小さなクリーム色の花を咲かせます。果実は楕円形の核果で、秋に黒く熟し、春まで枝に残ります。



バラ科サクラ属の常緑高木で、学名は Prunus caroliniana/英名は Carolina laurelcherry, Carolina cherry laurel/花言葉は「精神美」





10 Camellia

ツバキ(椿)

ツバキ科ツバキ属の植物の総称である。狭義には、ヤブツバキを指す。照葉樹林の代表的な樹木。花期は冬から春にかけて。「春」の季語。

花が美しく利用価値も高いので万葉集の頃からよく知られたが、特に近世に茶花として好まれ多くの園芸品種が作られた。美術や音楽の作品にもしばしば取り上げられている。

18世紀にイエズス会の助修士で植物学に造詣の深かったゲオルグ・ジョセフ・カメルはフィリピンでこの花の種を入手してヨーロッパに紹介した。その後有名なカール・フォン・リンネがこのカメルにちなんで、椿にカメルという名前をつけた。19世紀には園芸植物として流行し、『椿姫』(アレクサンドル・デュマ・フィスの小説、またそれを原作とするジュゼッペ・ヴェルディのオペラ)にも主人公の好きな花として登場する。和名の「つばき」は、厚葉樹(あつばき)、または艶葉樹(つやばき)が訛った物とされている。

「椿」の字の音は「チン」で、椿山荘(ちんざんそう)などの固有名詞に使われるが、ツバキとは無関係のセンダン科の植物チャンチンの意味である。

ツバキの花は花びらが個々に散るのではなく、萼の部分から丸ごと落ちる。それが首が落ちる様子を連想させるとして武士はツバキを嫌った、というのは明治時代以降の流言であり、実際には江戸時代には大々的に品種改良が進められていたというのが真相である。



学名は Camellia japonica/英名は Camellia/花言葉は「控えめ、慎み深い、魅力」





11 White Dogwood

白ハナミズキ(花水木)

北アメリカ原産のミズキ科ヤマボウシ属の落葉高木である。ミズキの仲間で花が目立つことに由来する。和名アメリカヤマボウシ。アメリカから渡来したときに、日本のヤマボウシに似ているのでとりあえずこの名前がつけられた。花期は4月下旬から5月上旬で白や薄ピンクの花をつけるものがある。秋につける実は複合果で赤い。庭木のほか街路樹として利用される。



1912年に東京市がアメリカへ桜(ソメイヨシノ)を贈った際、その返礼として1915年へ渡ってきたという話は有名だが、日本へ最初に入ってきたのは明治中期らしい。



学名は Benthamidia florida/英名は Flowering Dogwood/花言葉は「私の想いを受けてください 、返礼」





12 Golden Bell

レンギョウ(連翹)

落葉性小低木で雌雄異株。枝は淡い黄褐色、繁殖力が旺盛で、枝の先は垂れて地面につくと根を出し活着して、やがて独立した木になりよく繁ります。葉は対生、1~2センチの葉柄があって形は卵形、長さ4~8センチ、巾3~5センチの大きさです。 葉縁は上部は鋸歯、元の方は全縁となっています。 花は芽が出るわきに単生し、花冠は4深裂し、裂片の形は倒卵状楕円形で巾7~10ミリの大きさ、色は黄色です。筒部は短く、内面は橙色をおびています。がくは4深裂し、裂片の形は長楕円形で長さ5~7ミリです。雄蘂2、雌蘂1(雄蘂より長い)で花筒内にあります。果実は朔果で長方形、長さ約1.5センチで粒状の皮目があります。種子には狭い翼があって鋭く尖り堅い、長さ7ミリ程度です。



レンギョウは、花の雄ずいが異型であり長花柱型と短花柱型があり、同型では受精がなく結実しません。このために、繁殖が簡単な挿し木になっていますので、同一型に片寄ってしまいます。薬草に使う種子が必要な場合は、長花柱型と短花柱型の両方を混ぜて植栽する必要があります。



レンギョウに良く似た植物に、シナレンギョウやチョウセンレンギョウがあり、普通に栽培されていまが、枝を斜めに切ると、髄に横に仕切りがあらわれます。レンギョウは、枝が中空ですので簡単に区別がつきます。チョウセンレンギョウは朝鮮半島原産で、花はやや樺色がかった黄色。枝はレンギョウほどはたれませんが湾曲ぎみで、花つきがよく豪華に見えます。シナレンギョウは、花の色がやや緑がかった黄色で、枝が垂れずに直立します。花数はレンギョウよりは多めに咲きます。また小豆島(しょうどしま)や岡山県に野生するヤマトレンギョウは葉の裏に毛があるのが特徴です。



学名は Forsythia suspensa/英名は Golden Bell/花言葉は「希望、達せられた希望、言いなりになる、深情」





13 Azalea

ツツジ(躑躅)

ツツジ科の植物であり、学術的にはツツジ属の植物の総称である。ただし、日本ではこの中に含まれるツツジやサツキ、シャクナゲとを古くから分けて呼んでおり、これらはしばしば学術的な分類とは食い違う。ツツジ属の植物は概ね、低木から高木で、葉は常緑または落葉性である。世界に850種ほどが確認されている。雑種も多く、花を少し見ただけでは「ツツジ」の仲間ということまではすぐ解るが、種まで鑑別することは難しいことが多い。このため下記のような部分をよく観察する必要がある。



雄蘂の本数、毛の有無

雌蘂や子房の毛の有

葉の形、毛の有無

最も樹齢の古木は、800年を超え1000年に及ぶと推定されている。西洋では、アジアからヨーロッパに常緑のものが持ち込まれて園芸化されたものが、ロードデンドロン(Rhododendron)と呼ばれ、またアメリカでは落葉性のものが園芸化されてアザレア(Azalea)と呼ばれるようになった。花言葉は「自尊心、愛の喜び」



日本で言うところのツツジや、サツキは公園や道路の分離帯などの植え込みにしばしば見られる。日本では長い栽培の歴史を持ち、早くから育種も進んだ。元禄5年(1692年)に伊藤伊兵衛により刊行された「錦繍枕」は、世界最古のツツジ、サツキ専門書である。





14 Chinese Fir

コウヨウザン(広葉杉)

中国の長江以南から台湾が原産です。温帯地域の標高2000メートルあたりに自生しています。わが国へは、江戸時代の終わりに渡来しました。成長が早く、高さ30メートルほどになります。直立する幹から枝が輪生し、その側枝に葉が2列で羽状に並びます。ふつう「コウヨウザン」は和名で、中国では単に「杉木」と言うとのことですが、台湾では「廣葉杉」、「福州杉」とも呼ばれています。

スギ科コウヨウザン属の常緑高木で、学名は Cunninghamia lanceolata/英名は Chinese fir/花言葉は「雄大」





15 Firethorn

ピラカンサ(ス)(トキワサンザシ) Pyracantha coccinea

バラ科(Rosaceae(rose family))トキワサンザシ属(Pyracantha)英名:firethorn, scarlet firethorn

燃えるような鮮やかな果実の色と枝にある鋭い刺があることから、ギリシャ語の「火と刺」からきた。 また、熟した実はリンゴのような甘みがあるので、小鳥がよくついばむため小鳥を呼ぶ庭木としても知られている。花言葉は「防衛」

http://blogs.dion.ne.jp/kaho/archives/2133636.html





16 Redbud

アメリカハナズオウ(亜米利加花蘇芳)

アメリカの東部に広く分布しています。寿命の短い落葉樹です。幹は短くしばしば捻れ、細い枝を広げます。葉は心臓形で全縁、互生します。3月から4月ごろ、葉に先だって淡い紅色の花を咲かせます。花は「ハナズオウ(C. chinensis)」に比べて小さいものです。マメ科ハナズオウ属の落葉高木で、学名は Cercis canadensis/英名は Eastern redbud, Redbud/花言葉は「不信仰、よろこび、裏切り、疑惑、質素」オクラホマ州の州木でもある。





17 Nandina

ナンテン(南天)

日本、中国原産のメギ科の常緑低木。学名はNandina domestica。

高さは大きいものでは 2 m ほどにもなる。幹の先端にだけ葉が集まって着く、独特の姿をしている。先端の葉の間から、花序を上に伸ばし、初夏に白い花が咲き、晩秋から初冬にかけて赤色(まれに白色)の小球形の果実をつける。庭木として植えられることが多く、時に逸出したものが野外で生育しているのも見掛ける。

江戸時代に様々な葉変わり品種が選び出され、さかんに栽培された。古典園芸植物として現在もその一部が保存栽培されている。錦糸南天等とよばれる。

音が「難を転ずる」に通ずることから縁起の良い木とされる。葉は赤飯などの飾りに、実は南天実(なんてんじつ)という生薬で咳止めの薬として用いられる。

また、葉は、南天葉(なんてんよう)という生薬で健胃、解熱、鎮咳などの作用がある。葉に含まれるチアン水素は猛毒であるが、含有量はわずかであるために危険性は殆どなく、逆に食品の防腐に役立つ。

ただし、含まれている鎮咳作用物質のドメスチンというアルカロイドは、多量に摂取すると知覚や運動神経の麻痺を引き起こすため、素人が安易に試すのは危険である。

花言葉は「私の愛は増すばかり、良き家庭(赤実)、募る愛(白実)」





18 Holly

ヒイラギ(柊・疼木)

モクセイ科の常緑小高木で学名はOsmanthus heterophyllus/英名はHolly olive, False holly

福島県以西の本州、四国、九州から沖縄、台湾に分布する常緑の低木である。和名は柊であり、葉の棘がささるとズキズキするほど痛いという意味の古語である「ひいらぐ」に由来するという。11月に白い花をつけ、果実は翌年の初夏に黒く熟する。低地の森林に生育し、やや乾燥した場所に多い。

葉には鋸歯の先端が変形した棘があり、触ると痛いので侵入防止を目的とした生垣に使われる。老木になると葉の棘は次第に少なくなり、無くなって全縁となってしまう。

幼木では棘があるが成長すると棘が無くなる植物は多い。幼木の時期は樹高が低く、草食動物などに食べられてしまう危険性が高く、棘で武装するが、成長して樹高が高くなると棘を持つ必要がなくなるからである。棘を作るためにはそれなりのエネルギー投資が必要なのであろう。花言葉は「先見」
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01.06
Sat
リュークさんは伊達に死神してませんね、感心しました。前に「公平」と「平等」について書いたが。月は「生きること」が平等だと言いました。僕が思うにそれが一番の、いや人間としての敗因だと思うのです。なぜかと。それはその月の考えがリューク自身を否定してしまう結果に繋がるからだ。もちろんリュークの「飽きた」という私情や、醜悪な月の姿に呆れた感情もあるかもしれないが。つまり、「生」は平等であってはならないのかもしれない。いや、正しくは「生きること」であろう。「生きること」と「生まれること」は違うらしい。「生まれること」は個性という概念を考慮すると、「公平」ではないだろうか。「障害は個性」という言葉はただ単にこの時代にそぐわないだけかもしれないが。人間を産むのは「神」ではなく「母」なのです。母は神秘的な存在なのです。「生まれること」が「平等」だという意見も無いとは言い切れません。あくまで私の主観であります。

死神は「死を司る神」なんです。彼らにとって「生きること」は退屈以外の何者でもないのです。平等だとかじゃないとか意味すら無くなりかけているんです。人間にとって平等なものは「死」だけなのかもしれません。それを否定した月を嫌うのは当然でしょう。この作品は現代人に対しての警鐘なのかもしれないね。
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