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05.09
Tue
03c0c9e7.jpg今日は午後に南輪会総会がある、ぶっちゃけしんどい。会計なので決算報告しなきゃいけない。あ~体力持つかどうか心配だな~気絶しないかな~(絶対しないよ ところでどこか分からないブログからトラックバックがあるのだが。このおなごはいったい誰?イタズラ?謎である。しかも同じ記事からのトラバ。まあいいか。



うちの天然保育師が俺と作曲コラボしたいと言ってきた。KONTACT2などのサンプラーについての情報を待つとする。「ラブリーで、春っぽい曲にしたい」らしいので試しに「All The Way/ジャーニー」を聴かせてみたら「これいいね」さすが。「心からありがとうみたいな感じにしたい~」とかほざくので困る。



英語の「Thank You」は好印象なのだが、日本語の「ありがとう」はエゴにしか聞こえない。こうも文化的な違いがこの言葉に表現されているような気がする。日本人はどうも自分から言うのではなく他人に言わせる意識が強い気がする。その言葉が発せられれば何もかもがスムーズに進行すると勘違いしてるみたい。日本には敬語という概念が存在するが、これは相手の立場により言葉を変化させるものである。よく言う「年配には敬語を使う」という文化は日本独特の考え方ではなく、欧米や諸外国にも通ずる考え方だが、欧米や諸外国は言葉ではなくすでに敬意を心で完成させているのである。悪い言い方だがこれが正しいとなると日本人の考え方は嘘になる。特にこの世代は転換期にあたるとも知らず「効率」ばかり重要視している。相手との関係をスムーズにしたがる、それが生きる意味だと勝手に解釈をして。まさに悪いエゴである。それに対して彼らは暴動を起こすだろう、ある定められた時期を境に。日本人は言葉で発展してきた人種である、それに対してアメリカは精神で発展してきたのだ。ある事件でその言葉を破壊された日本は、ついにアメリカの精神の一部を飲み込まざるを得なくなるのである。礼節の土台である言葉を失ってしまったのだ。日本人は言葉と礼節を巧みに使って他人を間接的に操作して(日本人は他人を動かすのがうまい)土台を築いたが、アメリカは自己の能力で、他人との結束を保持しながら行動を原動力として土台を築いた。(アメリカーナは気が短いが仲間や家族を大切にする)「年配には敬語を使う」と述べたが、これは先人が経験を積んでそれなりのキャリアを生活に浸透させているからである。だがしかし、今のこの時期にそれが通用するだろうか。愛に毒されてしまったのに。昭和後期の世代にはその遺伝子が今までにないくらい正確に伝染した。雄の本能と雌の本能を剥き出しにさせてしまったのだ。「Morning Junky/Pierrot」をバックでよろしく。人々は快楽と激痛に奮起した。そしてその愛はやがて痩せ細るように段々と姿を変えてゆく。やがて彼らは言いようのない孤独に苛まれることになる。そして世の情勢とアメリカ文化の支配によって愛のエゴをぶちまけるのである。そしてエゴの結晶が生まれ、激情に暴れ狂うのだ。だからこそこの世界はカリスマを求めているのだ。「忠臣」この言葉が表現するとおりである。



愛はエゴである、時に誰かを救い、時に誰かを傷つける。だがしかし人は愛をどんな形であれ育てる運命がある、死を恐れずある人を捜し続けるために。その運命を知ったとき、オリジナルの欲望を紡ぎたくなるのだ。





今日の一曲



Morning Junky/Pierrot



昼間やったっていいじゃない!(数子
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