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05.15
Mon
534ca619.jpg戦争に勝利するには目標を攻撃し撃破したり、味方を防御しなければならないが、もうすでにそんな単純な構造ではなくなっている。敵の権力者がどのような動機で戦争を仕掛けたのか、どのような歴史的背景を背負っているのか、経済的および軍事的統計といったものを考慮するばかりか、それらを超えるものを追究しなければ勝利を確実にすることはできない段階に入っていたのだ。「思考と情緒の習慣を理解し、その習慣が落ち着いて行く型(the patterns)を理解するよう試みるべきだ。」とベネティクトは述べている。ここで注意すべきは、「菊と刀」の中に現われる‘patterns’という語は、文化の型ではなく、むしろ思考と行動の型を指していると考えるべき、とある。



ベネディクトの1934年の著書 「Patterns of Culture(文化の型)」 では文化の型がどのようなものか説明されている。‘recast’(鋳直す(いなおす))という動詞に注意すべきで、この語は「菊と刀」との接点を成す語だ。その語は‘demands’(要求)と関連され、その性質が説明されている。あるひとつの社会が持つ独特の‘purposes’(目標)に向けて、その社会の成員各自が経験をまとめあげていくということが行なわれる、それが要求だと。その過程は、決して意識されないことが必要だというのだ。例として孔子の教えの中にある「仁」に関することが日本人に鋳直されたのだ。日本人は中国で最高の徳とされていたものを著しく貶めたのだ。そしてそれを無意識のうちに日本人のエゴによって加工され日本の文化として吸収された、と言えば分かりやすいか。社会の内部に発生したり、外部から導入されたりする文化的事象のうちその社会の目標に合わないものを排除したり、鋳直したりすることは、無意識に行われるものらしい。そうでなければ意識的に行なわれる行為は環境、歴史、経済、権力その他もろもろに影響され、ベネティクトが言う「文化の型」が説明できないからだ。ベネティクトはこう述べる、「各人は社会的目標に従順で、それに従って経験を整理しながら貯えていき、そしてこれらの動因の緊急性の割合にしたがって雑多な行動の項目を次第にその目標に適合する形にまとめあげていく」と。文化的事象が特定の鋳型に流し込まれるという例えは、動的な過程にこそ存在意義があるのだと言っているに等しい。





今日の一曲



MASS GAME/Pierrot





波がうねる

無数の腕が

生きていく術を

決めかねている

善と悪が 演出されて

息を飲む様な

エンタテインメント

脳が うねる

他人の意志が

サブリミナルで

織り込まれていく

そうね

君を例えるならば

実験ケースの

白いマウス

頬を伝って落ちた

涙の雫さえも

多数決によって

却下される

操って 君の喜怒哀楽

合理的に

無駄のないように

誰もが

信じ合える世界

惑わされずに

流れを乱さずに



感覚に芽生えた

僅かな疑問さえも

多数決によって

却下される

操って 君の喜怒哀楽

合理的に

無駄のないように

選択の許されない世界

耳をふさいで

思考も止めて

操って 君の喜怒哀楽

精神が壊れないように

疑いの 余地など

ない世界

無理に笑って

その手を差し伸べて



Mistake, Escape,

『Responsibility』

Despair, Death Way,

『All Is To Hope』

Mistake, Escape,

『Responsibility』

Despair, Death Way,

『All Is To Hope』





無意識の世界。この国の場合はしかし異なる、社会的目標は歪んだ愛を受け止めることだけ。
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