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07.01
Sat
3110c9d3.jpg「差別」と「偏見」は違うと細木氏は述べている。それと上記のことをアプローチさせてみたい。辞書でぐぐってみる。



「差別」・・・(1)ある基準に基づいて、差をつけて区別すること。扱いに違いをつけること。また、その違い。(2)偏見や先入観などをもとに、特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをすること。また、その扱い。

「偏見」・・・偏った見方。歪められた考え方・知識にもとづき、客観的根拠がないのに、特定の個人・集団などに対して抱く非好意的な意見や判断、またそれにともなう感情。



細木氏が述べている「差別」は(1)の意である。(2)は「偏見」の意に近いため異なる。男女の運命にして避けては通れない問題である。そもそもなぜ男性が女性を”偏見”するのかという心理はどこから来るのだろうか。それは男性の性欲が自然に目覚め、常に女性の周囲で蠢いているからだ。それが常に眠っている女性の性欲を目覚めさせてしまうためである。自然のサイクルが文化の進化に伴って徐々に狂ってくるのである、永い時を経て。つまり女性は本能のために、男性側の正当な”差別”を”偏見”と誤解してしまう点にある。女性の本能の原点は”生殖”にある。”愛”によって男性から”種”を授かり、身を犠牲にして”芽”を咲かせるための”太陽”と”水”になるのだ。この事を”不条理”と言ってしまえばそれまでだが、生殖医療の進歩により妊娠から出産にかけての負担は格段に減ったはずである。某番組である少女が「男性に指図されたくない、自分の力だけで生きて行きたい」という発言に対して細木氏が「男女が平等であるならば、いったい誰が助けてくれるの?」と言ったのを覚えている。説教を聴いた後のその少女の笑顔を鮮明に覚えている。「差別はあっていいんです。偏見がいけないんです。」話は戻るが、なぜ”誤解”が生まれるのかという壁にぶち当たる。ヒントは「平塚雷鳥」かもね。「元始、女性は実に太陽であった。真心の人であった。今、女性は月である。他によって生き、他の光によって輝き、病人のような蒼白い顔の月である。」と述べている。これは女性解放運動のスローガンとも言うべき言葉でしょう。「母性そのものを考えること自体が、性差別の根本的な原因であると主張する」とかいうクレイジーな事をほざく奴までいる。自分を否定する以前に女性を否定してるよ。差別は永遠に無くなりませんよ、そんなことを言うから偏見が生まれるんだ。差別という低次元でぶつかり合って男にすれば実に馬鹿らしい。偏見と戦っているほうがよっぽど楽しいよ。男女にはそれぞれに役割がある。なんかふと思うのは女って意味を探しているんだと思う、たとえそれが理解できないものでも。なんかふとした時に、男が羨ましく目に映ってしまうのではないだろうか。それって残酷かもしれません。生きる意味、すなわち人生が何のためにあるのか理解するのが遅すぎるのだから。母性について気になる文脈があったので載せておく。



女性に対する母性の押しつけが児童虐待につながることもあるのではないかというフェミニストの主張に対し、保守派の一部は、母性を否定する結果、出産や育児に対してネガティヴな印象を女性に与え、少子化や児童虐待の遠因となっていると主張している。
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