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01.06
Sat
リュークさんは伊達に死神してませんね、感心しました。前に「公平」と「平等」について書いたが。月は「生きること」が平等だと言いました。僕が思うにそれが一番の、いや人間としての敗因だと思うのです。なぜかと。それはその月の考えがリューク自身を否定してしまう結果に繋がるからだ。もちろんリュークの「飽きた」という私情や、醜悪な月の姿に呆れた感情もあるかもしれないが。つまり、「生」は平等であってはならないのかもしれない。いや、正しくは「生きること」であろう。「生きること」と「生まれること」は違うらしい。「生まれること」は個性という概念を考慮すると、「公平」ではないだろうか。「障害は個性」という言葉はただ単にこの時代にそぐわないだけかもしれないが。人間を産むのは「神」ではなく「母」なのです。母は神秘的な存在なのです。「生まれること」が「平等」だという意見も無いとは言い切れません。あくまで私の主観であります。

死神は「死を司る神」なんです。彼らにとって「生きること」は退屈以外の何者でもないのです。平等だとかじゃないとか意味すら無くなりかけているんです。人間にとって平等なものは「死」だけなのかもしれません。それを否定した月を嫌うのは当然でしょう。この作品は現代人に対しての警鐘なのかもしれないね。
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